情緒が過ぎる

演劇・映画・文学

『そして春になった』@本田劇場

公演情報

M&Oplaysプロデュース『そして春になった』
作・演出:岩松了
出演:松雪泰子ソニン瀧内公美片桐はいり

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独断と偏見あふれるザックリまとめ

朗読(?)劇。かつて一人の男を奪い合った二人の女。新たな愛人を湖に突き落とした夜、二人の関係性は変化する。連鎖する愛憎。共犯者となった二人。二人の姿は一つの女。 

観劇レポート


驚くほど静かだった。

上着が擦れる音、息をのむ音、体を揺らす音。かすかな動きも音が拾って会場に響かせてしまうから、体が変な音を出さないようにするので必死。

艶びやかなドレスを身にまとった松雪泰子とあどけない白いワンピースを着たソニン。真っ赤な台本を手に、ある夜の物語から二人の劇が始まる。


二人の関係性やそれぞれの人物像が明らかにならないうちに会話はスタートし、しかし観客は徐々にそれらを掴み始める。舞台も音響もシンプルで闇に近く、探り探り会話に耳をすませるにはぴったりな環境だ。

質の違う、しかしよく響く二人の声が空間を切り裂いて、ぴりぴりした感じが常に体にまとわりついていた。やっぱり声は大事だよなあ。声の震えが体の芯と共鳴するみたいで、本多劇場の音響がいいと言われる所以はこういうところにあるのかしらと考えていた。演じる側にも見る側にも良い響きを作るってどういう作業なんだろうか。

卒業論文を書きながら、詩という形式でしか表せないものとは何だろうかとよく考えるのだけれど、舞台は私にとって言葉を体感する場で、記録には残せないその儚さがいつも私を劇場に連れてきてくれるのだろうと思った。

 
妻にとっての夫、女優にとっての監督の怪しさが、二人の会話から、会話の中の会話から形をとっていく。ペンションでの一幕を想起する下りは、まるでその場面が目に浮かぶようで、それが言葉そのもののせいなのか、言葉運びのせいなのかはわからなかったが、映画的な切り取り方だと思った。

二人の力加減が反転する場面の迫力はあまりに真に迫っていて(これは現実に迫っているということではなく)、盛り上がりは最後に持ってくるだけのものではないなと学ぶ。

 
優越感に浸りたい若い女、隠しきれない嫉妬にかられる妻という構図は、ありきたりといえばありきたりだが、感情の機微が丁寧に描かれていて、ソフィスティックなフレーズによって単なる愛憎には止まらないように拡張される部分もあって、全体的に文学的な匂いのする舞台に仕上がっている。

 
終盤のソニンさんの身体表現は、だから彼女をキャスティングしたのねと感嘆してしまうほど素晴らしかった。少し前に蜷川幸雄の『身体的物語論』を読んでいたく感動したが、舞台の上にどういう身体を置くかという問題は、演出にあたって幾分重要な観点であるのだろうと体感することができてよかった。絶妙なライティングも鮮やかな赤の布もスモッグも全てが調和していて、この舞台のハイライトといっても過言ではないだろう。

身体的物語論

身体的物語論

 

全体を通して、台本片手に交わされる会話を観客は眺めるのだけれど、この距離感がちょうどよかった。観客と演者の距離、演者と役の距離、役の過去と現在の距離、どこか一枚挟んでいるような感覚がこの舞台には必要だったのではないかと感じる。

 
今年、帰国してから見た演劇は、「演劇がやりたい」というメッセージがあまりに直接的で、もちろん痛いほどわかるのだけれど、ちょっと疲れてしまうところもあった。匂わせるくらいが好みなのは小説だけではないらしい。

なんだか久しぶりに、日本の演劇を見たという感じがして、日本語話者として場に居合わせることができて良かったなあと思うお芝居だった。

つぶやき


岩松了さんのお芝居を見るのは初めてだったが、1時間という短めの上演時間も濃度できちっと昇華させる素敵な舞台だったと思う。

今日までのところ今年いちばん。何かと厳しい状況下で上演してくださって、ありがとうございました。

明日は大好きな松岡茉優さん出演の舞台。楽しみ楽しみ。
卒論終わるかな……。