情緒が過ぎる

演劇・映画・文学

ささくれが痛い

寒さが深まって乾燥するせいか、指がささくれだらけである。

後悔するとは知りつつも、ついつい引っ張って抜いてしまう。
一時的にすっきりするが、後からどんどん膨らんで、熱を帯びて、ものすごく痛む。

膿が目に見えればまだいいが、そうでなければ絶望。

ただただ痛み、あてずっぽうに押し出そうとしても、痛さが増すばかりで終わりがない。

何度か繰り返すうち、痛みが癖になるのか、「痛い、痛い」と言いながら、狂ったように指と爪の間を押し続けている。

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今日、23回目の誕生日を迎えた。

年を重ねるごとにイベントに対する感情は薄れ、もはやハロウィンもクリスマスもお正月もただ名前だけが残ってしまった何か。

誕生日も例外ではないらしく、ただ生まれただけの日にそんな名前をつけることにすら居心地の悪さを覚える。

日々降り積もる息苦しさをどうにか払いのけながら、その大元を探ろうと必死なのだけれど、それは随分奥まったところにあるようで、いつまでたっても手が届かない。

そのうち、いつから何が苦しいのか分からなくなってしまって、漠然とした、しかし確かにそこにある痛みが寄せては返し、ついに収拾がつかなくなってしまった。

高校時代は、自分が何に悩み、何を恐れているのか、時間をとって振り返ればすぐに分かるような気がしていたけれど、今では随分入り組んでしまって、具に紐解くのは難しい。

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人生において前進する力を、どこかに置いてきてしまったような気でいる。

どこが前なのか、前なんて本当にあるのかすっかり分からなくなってしまって、ただその場にとどまり、あれやこれやと考えをめぐらして、何にもならず、ただ分からないということだけを知り、寝て、起きて、毎日は繰り返される。

世の中の流れに乗って進めるのはここまでで、当たり前のように就職という道を選ぶことができなかったのだから、あとは自分でどうにか。

消化できていない人生の色々が溜まりに溜まった膿を、どこかに出してやらなければならない今。
これまでは避けてきた言語化という行為に真剣に取り組むべき時が来たのではないかと感じている。

言葉にしてしまうと、言葉にできなかったものが流れ落ちていくような気がして、自分の中で成熟するまで待つのが良いと思っていた。
しかし、形に残らないだけ記憶から逃れていくものもあって、一時的に止めるということはやはり必要みたいだ。

個人的なことを筋道立てて話すのがどうにも性に合わなくて、しかし開かれた場である以上絶対に必要で、どうにか境界あたりで良い書き方を見つけられないかと模索中である。

幸い世の中は素敵な文章で溢れているので、今年は良い文を読んで考えて言葉にして、しっくりくる文体を見つけられるように、アウトプット、output。

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誕生日なんて名ばかりだと言いながら、ちょうど良い区切りとして利用してしまう。

昔みたいにワクワクしながら朝を迎える気持ちも高揚もないが、ここはひとつコマを進めたということにして、自分を納得させるのも悪くはないだろう。

しかしまあ、傷に向き合わずにやり過ごすと、あっという間に化膿してどこが痛みの元か分からなくなってしまうから大変だわ、ささくれ。